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市民スポーツイベント開催候補地の募集開始

一般社団法人ウィズスポ

一般社団法人ウィズスポ(本部=東京都渋谷区、代表理事=中島祥元)では、全国各地の自治体などと連携をはかり、自転車とランニングによるシリーズ型の市民参加型スポーツイベントを開催してきたが、2013年度は12地域程度での開催を予定している。これを受けて2013年、2014年度における新たな開催候補地の募集を開始した。

新たなスポーツイベント地域を募集。

ランニングと自転車ブームの影響で、市民参加型スポーツイベントの数も益々増加貴重にあるが、同団体は、地域に根差していく「続くスポーツイベント」の創成を目指している。そのためには、①スポーツ愛好家のニーズに応え、②参加者満足度を高め、③開催地へもメリットのあるスキーム作りなどが必要不可欠と言われている。

現在、各地の地方自治体や地域に根差した団体との「共同開催方式」にてシリーズを組み立てている。開催にあたっては、地域への「実際的な経済波及効果」や「市民の巻き込み」など、地域活性化策としての機能を担保しつつ、参加者が満足できるイベント創りの実現を目的としている。今回の募集については、原則としては2013年度、または2014年度の開催が前提。同団体は、問合せ順に対応して行くという。

◎開催事例のご紹介
◇自転車イベント
 ・温泉ライダーin 加賀温泉郷(石川県加賀市)
 ・あついぞ!熊谷 BURNING MAN RACE(埼玉県熊谷市)
 ・かすみがうらエンデューロ(茨城県かすみがうら市)
 ・静岡市・身延町交流イベント「ツール・ド・安倍峠2012」(静岡県静岡市)
 ・温泉ライダーin SAKURA(栃木県さくら市)
◇ランニングイベント
 ・東京ドイツ村駅伝(千葉県袖ケ浦市)
 ・高岡ねがいみち駅伝(富山県高岡市)

◎イベント運営者としてのウィズスポの特長
1.「スポーツイベント」に魂を込めて
2.「企画」・「運営」のスペシャリスト集団
3.参加者第一主義
4.開催地ならではのユニークでオリジナルなイベント創り
5.開催地のリスク軽減





新しい展開を見せた6年間に居あわせて

ツール・ド・フランス黄金時代②

ツール・ド・フランスは常に「黄金時代」であることに違いはない。但し、時代の変化と共にツール・ド・フランスにも変化が訪れていた。その変革の時期の6年間、写真家、北中康文はツール・ド・フランスを撮り続けていた。

▲最初の3年間をまとめた写真集「LE TOUR DE FRANCEツールドフランス~栄光のマイヨ・ジョーズを求めて~(出版=スーパーエディション)」が発行された。

素晴らしかった6年間のツール・ド・フランス。

ツール・ド・フランスに起きた変化。それは選手層の拡大から始まった。ヨーロッパ中心の選手層から、北中米に拡大しレモン(Greg Lemond)やエレラ(Luis Herrera)が参加した。また1989年のベルリンの壁崩壊によって旧共産圏の選手たちが台頭するようになった。走り方も選手のパワーとスタミナで走る時代から自転車の技術革新に伴う走り方の時代に変化した。

その結果、今までにないドラマが数多く生まれ、ツールにも華やかさが伴ってきた。イノー(Bernard Hinault)が5連勝を果たした1985年からインデュライン(Miguel Indurain)が活躍を始めた1990年代の最初までが、まさに「黄金時代」にふさわしいと言える。

そんな時代の6年間。写真家 北中康文はツール・ド・フランスでシヤッターを押し続けていた。ツール・ド・フランスでの取材。それは「過酷」の二文字につきる。「ツール・ド・フランス事態が過酷なのだから、それを中継したり取材したり写真を撮ったりすることは、常に困難と危険が伴い、数々のハザードを乗り越える必要がある」と、テレビクルーは語る。

ここにある、ツール・ド・フランスの運営主体団体ASOが発行する記者証。これが黄金時代を取材した証となっている。


ツール・ド・フランスの運営主体団体ASOが発行する記者証。

人生の生き方を教えてくれた。レモンに感謝。

ツール・ド・フランス黄金時代①

▲1989年。最終エタップ(個人T・T)を疾走するレモン(Greg Lemond)。50秒あった差を大逆転し8秒差でトップとなった。(写真提供=北中康文)。

娘さんはキャンピングケースに、パン、オリーブオイル、チーズ、そしてフランスの地図を入れてツール・ド・フランスを応援に出かける。夫の父を乗せて。それが毎年の出来事で、いつしか彼女もツール・ド・フランスの熱狂的なファンになっていた。

今もレモンが心の中で走っている。

ツール・ド・フランスの時期になると彼は落ち着かない。現役時代は、長距離トラックの運転手として、ヨーロッパを走りとおした。「陸続きのほとんどの道は露地まで知っている」と軽く自慢する。

グルノーブルの郊外に住み、トラックで日々の糧を得て3人の子供を育て、そしてリタイア。今年80歳を超える。足腰が弱くなったため、今は娘さんの運転する車でツール・ド・フランスを応援に行く。フランスのチームではない。一貫してアメリカのチームを応援する。「アメリカのレモン(Greg LeMond)とアームストロング(Lance Armstrong)は、われわれにあきらめずに生きていけ、苦境に負けずに生きていけと、教えてくれた。そのおかげで自分はここまで生きてこれた」と、いう。

そして、今年も「レモンが走るから応援だ」と、いう。しかしレモンは走らない。1994年に引退した。でも彼の心の中では「レモン」が、今もツール・ド・フランスを走り続けている。「人生なんてあきらめてはいけない。最後のエタップで逆転さ。シャンゼリゼで」。力づよいその言葉が印象的だった。

彼の心に生き続けているレモン。どんな選手だったのか。そしてパリでの最終エタップでの逆転とはどんなレース展開だったのだろう。調べ始めていくと一冊の本と一人の写真家にたどり着いた。「ツール・ド・フランス 黄金時代」(株式会社枻出版社=2009年3月20日初版発行)。作者は北中康文。ツール・ド・フランスの黄金時代を撮り続けた写真家である。

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