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新しい展開を見せた6年間に居あわせて

ツール・ド・フランス黄金時代②

ツール・ド・フランスは常に「黄金時代」であることに違いはない。但し、時代の変化と共にツール・ド・フランスにも変化が訪れていた。その変革の時期の6年間、写真家、北中康文はツール・ド・フランスを撮り続けていた。

▲最初の3年間をまとめた写真集「LE TOUR DE FRANCEツールドフランス~栄光のマイヨ・ジョーズを求めて~(出版=スーパーエディション)」が発行された。

素晴らしかった6年間のツール・ド・フランス。

ツール・ド・フランスに起きた変化。それは選手層の拡大から始まった。ヨーロッパ中心の選手層から、北中米に拡大しレモン(Greg Lemond)やエレラ(Luis Herrera)が参加した。また1989年のベルリンの壁崩壊によって旧共産圏の選手たちが台頭するようになった。走り方も選手のパワーとスタミナで走る時代から自転車の技術革新に伴う走り方の時代に変化した。

その結果、今までにないドラマが数多く生まれ、ツールにも華やかさが伴ってきた。イノー(Bernard Hinault)が5連勝を果たした1985年からインデュライン(Miguel Indurain)が活躍を始めた1990年代の最初までが、まさに「黄金時代」にふさわしいと言える。

そんな時代の6年間。写真家 北中康文はツール・ド・フランスでシヤッターを押し続けていた。ツール・ド・フランスでの取材。それは「過酷」の二文字につきる。「ツール・ド・フランス事態が過酷なのだから、それを中継したり取材したり写真を撮ったりすることは、常に困難と危険が伴い、数々のハザードを乗り越える必要がある」と、テレビクルーは語る。

ここにある、ツール・ド・フランスの運営主体団体ASOが発行する記者証。これが黄金時代を取材した証となっている。


ツール・ド・フランスの運営主体団体ASOが発行する記者証。